1989年から会社の修業生制度で1年間西ドイツの文化・語学を学ぶ機会に恵まれた。
始めの2か月の修業地はベルリンとなりゲーテ語学学校で知り合ったN協のクラリネッターと意気投合し東ドイツ観光に。
東から西に亡命失敗し射殺された日が刻まれる十字架が立ち並ぶ国境チャーリーチェックポイントを通過する時、小生の車のスペアタイヤの下に敷かれた西側の新聞紙が見つかり1時間説教、東側観光中も角という角に立つ警官に止められセンターラインを踏んだなどで50マルクx3回の罰金、再び帰りのチェックポイントで人が車に隠れて無いか後部座席シートを外されガソリンタンクに棒を突っ込まれ確認、二度とこの国に来るまいと誓った東ドイツはもう存在しない。
北米チーム J. N.